みなとノート

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【映画レビュー】『劇場版ポケットモンスター きみに決めた!』

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(劇場版『ポケットモンスター きみに決めた!』公式ホームページより)

今年20周年を迎えたポケモン映画。20代の方は特にそういう方が多いのではないかと思うのだが、私は小さい頃はよく夏休みにポケモン映画を観に行ったものだが、『セレビィ 時を超えた遭遇』を最後に15年以上ご無沙汰だった。

そんな私が唐突に『きみに決めた!』を観ることを決めたのは、今回の映画は、主人公サトシとピカチュウとの出逢いが物語の始まりとなっていると知ったからだ。CMで小学生の頃の懐かしい思い出が蘇り、思わずこれなら久しぶりに観てみようかなという思いにさせた。そして、この決断は大正解だった。

せっかくなので感想をブログで記事にしておきたいと思う。なお、ネタバレを含む感想となるので、まだ映画を観ていない方は閲覧に注意して欲しい。

トーリー

冒頭はアニメ『ポケットモンスター』第1話の流れを汲んだ内容となっている。

サトシは寝坊をしたせいで、旅立つトレーナーの最初の3匹である「ヒトカゲ」「フシギダネ」「ゼニガメ」のいずれも貰うことができず、性格に癖のあるポケモンピカチュウ」を相棒として旅立つことになる。最初はピカチュウはサトシのことが大嫌いだったが、オニスズメの襲来からサトシが身を挺してピカチュウを守ろうとした姿を見て、二人の間に絆が生まれ「パートナー」となる。

しかしながら、アニメではこのオニスズメの襲来の場面で、今後旅を一緒に行う「カスミ」との出逢いも描かれていたが、映画ではその描写はない。そして旅を伴にしていた「カスミ」「タケシ」のが物語中に出演することもない。そう、今回の映画の物語はアニメ版『ポケットモンスター』のリメイクではなく、アニメ版とは違う、もうひとつの『ポケットモンスター』の物語なのだ。

アニメ第1話同様にサトシとピカチュウは「ホウオウ」の姿を見るが、映画では「ホウオウ」が落としていった虹色の羽根を手にすることとなる。これをキーアイテムとして「ホウオウ」に会いに行く冒険をするというのが今回のストーリーだ。

アニメ版『ポケットモンスター』との関わり

今回のストーリーは基本的にアニメ版『ポケットモンスター』とは別の物語となっているが、実際にはアニメ版の名シーンが各所に織り交ぜられてストーリーは進んでいく。

例えばヒトカゲとの出逢いだったり、バタフリーとのお別れだったり、アニメ版とは違うのだけれど、シチュエーションは同じように出逢ったり別れていく。

私のような、アニメのポケモンが始まって間もない頃を観ていた人間が観ると、「あ!懐かしい!」と思える嬉しい作り方だった。

また音楽についても初代の音楽をアレンジしたものが多く取り入れられていて、友達みんなでゲームボーイを持ち合ってバトルしたあの日々、次にどこへ進んだらいいか分からず苦労した思い出、そんな当時の興奮を思い出させてくれた。素晴らしい。

ピカチュウが人の言葉を喋ったことについて

この映画を観て他の人がどんな感想を持っているか調べたい人のほとんどは、この点についてどう感じているのかが気になっているのではないだろうか。

物語の終盤、冒頭のオマージュで、ピカチュウがサトシの前に飛び出していったシーンの直後、サトシが「なんでモンスターボールに入らないんだよ!」とピカチュウに声をかける。

すると、「君と一緒にいたいから」とピカチュウが唐突に人の言葉を喋ったのだ。

この演出は賛否両論大きく意見が分かれるところだろう。

これについて私自身は正直なところ、否定的な意見を持っている。「実際に喋ったのではなくサトシにはそう聞こえたんだ」と解釈するのが自然だとは思うのだが、そうであったとしても人の言葉だけでなく、後ろで「ピカピ、ピカッチュウ」などの声を入れても良かったのではないか。むしろ人の言葉がなくても十分に感動は得られたのではないだろうか。

あの場面で、ピカチュウが人の言葉を喋るのはあまりにも唐突であるし、調べたところによるとアニメ版、劇場版において今までにピカチュウがこのように人の言葉を喋ったことはないようだ。だからこそ、ピカチュウの声は「ピカ、ピカチュウ」であるという認識が自分の中で動かないものとして出来上がっていた。それが覆されてしまったのは残念に思うところだ。

サトシの消滅、復活について

ピカチュウが人の言葉を喋ったシーンの直後、サトシはマーシャドーに操られたポケモンの総攻撃を浴びたのち、消滅する。そして虹色に輝く空間から復活を遂げる。

この展開についても違和感を覚えた人は多いのではないだろうか。かくいう私もその一人だ。

サトシがポケモンの攻撃を一身に受けるというシチュエーションは、初代ポケモン映画『ミュウツーの逆襲』を彷彿とさせる。しかしながら、『ミュウツーの逆襲』ではサトシが「石化」してしまうにとどまっている。

今回のように身体自体が消滅してしまうというのは、人間、ポケモンを問わずこれまでのアニメ・映画の中であったのだろうか。またこの消滅が「サトシの死」を意味しているのならば、ソウジの回想の中でポケモンレントラー」が寒さで亡くなってしまったときに身体が残っていたことと折り合いがつかないのではないだろうか。

消滅について目をつぶるとしても、虹色に輝く空間からの復活はどういう理屈で復活したのだろうか。話の流れから考えられるのは、過去にエンテイスイクンライコウが誕生したときのように「ホウオウの力」によって命が与えられた、という解釈であるが、同場面ではホウオウは現れていない。ホウオウにゆかりのある大地だからという解釈ができなくもないが、少し無理があるように感じる。

このあたりの、ピカチュウが喋ったシーン以降の展開についてはもう少し丁寧にストーリーを練ったほうが良かったのではないかと思う。特に初代を念頭においた作品作りをしているだけに、大人の目線で観たときに違和感が生じてしまったのは残念でならない。

映画全体を通しては最高の出来

先に述べたようにいくつか気になるポイントもあったものの、映画全体としては非常に満足度の高い出来となっていた。特に幼少期にポケモンとともに過ごした20代から30代の大人には他には代えがたい当時の興奮を呼び起こしてくれる作品になっていたのではないだろうか。

特に良かったと思うのが、初代ポケモンの151種類を中心にストーリーは展開されていたことだ。だからこそ、10年以上ポケモンには触れていないという人でも、知らないポケモンが多すぎて興ざめしてしまうということもないし、スムーズに映画の世界に入り込んでいくことができる。

しばらくポケモンに触れていなかったが、近年のポケモンGOの流行等で懐かしいなと思っている大人たちには是非、この映画を観て欲しい。忘れていた子ども心を思い出せるに違いない。